イチローさんの父・チチロー(鈴木宣之)さんは、幼少期から「毎日練習」の約束を課し、世界的打者の土台をつくった教育パパとして知られてます☝️
一方で、結婚・豪邸同居・メジャー挑戦・お金の管理・イチロー記念館などをめぐる行き違い、過干渉から、やがて「確執」「疎遠」とまで噂される深い溝が生まれていきました😭😭
本記事では、チチローさんの経歴と教育方針、イチローさんとの確執と疎遠の理由を時系列で整理しつつ、東京ドームでの引退試合前後に見えた和解の兆しまでを追いかけます🏃🏻♂️💨
親子の愛情とすれ違い、そのリアルな関係に触れてみてください🤔

チチローさん(鈴木宣之)とは何者か🔍
私立東海中学・東海高校から芝浦工業大学工学部二部に進学した理系出身の実業家で、「オフィス・イチロー」「ビー・ティー・アール(BTR)」の社長としてイチロー関連事業を手がけてきました👨
少年時代から野球が得意で、小学校では4番エース、中学も野球が強い学校に進学する思いを両親に伝えるも、反対されました🙅♀️
高校では両親を説得して野球部に所属しましたが、高校2年生の打撃練習時に耳に死球を受けて1か月入院し、その後は恐怖心から情熱を失い、選手としての夢を断念しています⚾️💦
大学卒業後は伯父が経営する会社に入社するも、「身内だから偉くなれる」と見られることへの違和感や上司からの嫌がらせが原因で26歳で退職し、28歳の時にお兄さんの支援を借りて機械部品製造の自営業を立ち上げ、「自分の力で食う」道を選びました💪
この「野球をやり切れなかった悔しさ」と「自営で身を立てる覚悟」が、のちにイチローさんへの愛のある、執念のある教育方針に繋がっていきます🔥
リヤ自身が野球やりきれなくて、息子にその夢を託すのはよくあるパターンですね☝️
私も子供がいますが、本音を言うと野球やってほしいですし、もしプロ野球選手になったらなんていう願望をもったりします😅
親ってそういうもんですよね、、、ただチチローさんの協力の徹底ぶりは群を抜いてます🙂↕️
イチローさんも小学校4年間の練習が土台になったことと、チチローさんが自営業で時間の融通が効きやすかった事も大きかったと仰ってましたね☝️

幼少期〜高校時代:チチロー流「才能の育て方」
イチローさんが3歳の時におもちゃのバットとボールを与えると、すぐに夢中になり、小学校入学前には「野球選手になりたい」という強い意志を見せるようになります💪
小学3年生を目前に、「毎日野球の練習をする」という親子の約束を交わし、そこから中学入学までの約4年間、学校から帰宅して暗くなるまで、ほぼ毎日チチローさんが練習に付き添いました⚾️
練習後は毎晩のように足裏マッサージをして疲労ケアをするなど、技術とコンディショニングの両面で、当時としてはかなり徹底したサポートをしていたとされています☝️
リヤ練習後のケアはすごく大事で、次の日への疲労の残り方が変わってきます🙂↕️
小学生の頃からケアを怠って来なかったからこそ、ケアの大事さをイチロー選手が理解し、自分でもケアを続けて45歳まで現役を続けられたと思います🙂↕️
私も高校時代練習後のストレッチを欠かさず行ってきて、肉離れや腰痛など一切しなかったです☝️しかも体が柔らかくなって怪我をしづらい体になっていました😊これは本当に効果があると思います💪

チチローさん中学、高校時代も「ほぼ皆勤」の観客
イチローさんが中学校の野球部、愛知の名門 愛工大名電高校へ進学してからも、チチローさんはほぼ毎日、野球部の練習を見に行き、顔を見ない日は部員たちが「事故に遭ったのでは」と心配するほどの常連だったと証言されています👀
中学校時代には凡退が続いていたイチロー選手にアドバイスを送って、その次の打席でホームランを打ったこともあるそうです😳
イチローさん自身も「自分のプレーを見ることがお父さんの何よりの楽しみ」と理解しており、一度も「見に来ないで」とは言わなかったようです👨
リヤ正直、私だったら「毎日観に来なくていいよ」って思います(笑)
でもイチローさんは、チチローさんの想いをちゃんと分かっていて、感謝もしていたからこそ、何も言わずに受け止めていたんでしょうね👌
お互いにずっと続けていたって、本当に素晴らしいと思います🙂↕️
私の大学時代の監督さんも言ってました何事も継続が大事、、、けど継続が一番難しいと🙂↕️
私が指導者となっても改めて実感する事が多いです☝️諦めずに継続してる子は、ここ一番で結果を残します😄
チチローさんの教育方針のポイント
チチローさんの教育は興味のあるものをとことんやらせる(野球に全振りさせて、「約束は守る」ことを徹底させました)🫡ただイチローさんは学校の成績もトップクラスでよかったです☝️
義務教育までは親の責任という考えで、時間管理・練習量・生活リズムまで細かく関与して子育てをしていました🧮
自分の挫折体験から、「中途半端に終わらせたくない」という気持ちとイチローさんの気持ちを尊重して練習を行ってました⚾️バッティングを中心に、飽きないようチチローさんは工夫していたようです✅
例えば、回数を変えたり、メニューを入れ替えたり、相撲をしたり、時には近所の人から陰口を叩かれたりしたそうですが、チチローさんは見返してやろうとイチローさんに声をかけていたようですね💨
時にはバッティングセンターから帰ってきてから、イチローさんがまたバッティングセンターで打ちたいと言って再度向かった事もありました⚾️
そして毎日練習の約束をして、小学校6年まで休まず練習をしました🤝
この小学校時代の練習が、基礎技術を学び、世界的打者の土台になりました😳
リヤ私自身、30年以上野球をやってきて、指導の現場でも「毎日ボールに触る子」と「週2〜3回だけの子」の差は、体が出来上がってくる、高校年代で一気に出ると感じています。個人差はありますが、フォームの安定や打球判断、補給、野球感は結局反復の量がものを言います☝️
ただ一方で、「やらされている」と感じた瞬間に、子どもの目の輝きは一気に消えてしまうんですよね🙂↕️
私もチチローさんのようにメニューの中に遊びや選手達が決めるメニューを必ず混ぜてあげるようにしています☝️
そのメニューの方がすごく楽しそうに練習するんです笑

イチローとチチローさんが疎遠になった理由(時系列)
ここからは「なぜ絶縁とまで言われたのか」を、時系列で整理します☝️
① 結婚をめぐるすれ違い(1999〜2000年頃)
1999年12月、イチローは元TBSアナウンサーの福島弓子さんと結婚💒
チチローさんは弓子さんを「イチローの妻」ではなく「鈴木家の嫁」と捉えていて8歳年上の弓子さんは過去に栗山英樹さんとの婚約破棄歴があり、テレビ番組でも「2、3歳上なら理想☝️10歳離れるとアウトだけど、7歳はギリギリセーフ」と複雑な本音を語っています🧐
今なら完全にアウトな発言ですね😱
2000年には愛知・豊山町に延床約520㎡の2階建て豪邸を新築し、「イチロー夫妻と一緒に住む」そして「大好きな中日に移籍し、新築の豪邸で同居する日」をチチローさんは長年思い描いていましたが、それも叶わず「親の理想」と「夫婦二人での人生設計」が静かにぶつかり始めていたと考えられます💥
② 豪邸同居と家計管理問題(2000年前後)
当時イチローさんはオリックス在籍で神戸で単身生活、豪邸ではチチロー夫婦と弓子さんの別居同居状態が数か月続いていました🏠
チチローさんは、ネギ1本の購入にも領収書を求めるなど、家計に細かく口を出し、弓子さんは強い息苦しさを感じて、数か月で豪邸を出て神戸のイチローの元へ帰っています😅

③ メジャー挑戦への猛反対と“置き去り会見”(2000〜2002年)
チチローさんは「中日に移籍し、豪邸で一緒に住む」構想を持っていたため、メジャー挑戦に猛反対していたとされています😫
2000年10月、イチローさんはメジャー挑戦を表明しますが、チチローさんには会見当日の朝まで何も知らされておらず、大きなショックと亀裂の原因になりました💥
2002年、地元・豊山町の「イチロー杯」表彰式で、イチローは少年たちに向けて
「大リーグ挑戦を父に反対されて辛かったけれど、意思を貫いてよかった。自分で決断できる大人になってほしい」と語っており、その場にはチチローもいたとされています💨
ここでイチローは、公の場で初めて父の反対を逆手にとり、「自立」をメッセージ化しました💢
リヤチチローさんからすれば、親としての立場を否定された感覚もあったはずです😅
チチローさんは反対はしてないともいっていて、そこの時点でコミニケーションはほぼなかったのでしょう、こどもの自立、親は悲しいけれど、子の気持ちを尊重するのがいいのかなと思いますね🫤
④ 所得申告漏れ問題とマネーの断絶(2003年)
2003年初め、イチローさんの個人事務所「オフィス・イチロー」が名古屋国税局から約9000万円の申告漏れを指摘されます👈
事務所運営の責任者はチチローさんで、オリックス時代のCM出演料などを個人所得ではなく「オフィス・イチロー」の所得に計上していたことが問題視されました👀
これに対しイチローは「他人任せにしたのがいけなかった」と父を露骨に批判し、その後は資産管理会社「IYI」を立ち上げ、妻・弓子さんが資産管理を担う体制に切り替えています💴
⑤ イチローさんを広告塔にしたビジネスとメディア露出(2000年代)
チチローさんはイチローさんの名を前面に出し、実家隣に「イチロー記念館」をオープン🏬
子ども時代に食べていたカレーをレトルト商品化🍛
展示ルーム「I-fain(アイ・ファイン)」を運営🏢
講演会などで頻繁にイチローについて語る
といった活動を展開しました🤲
メディアが付けた「チチロー」という愛称も、露出が多かったがゆえのキャラクター化であり、イチローは「黙っていてほしい」と何度も苦言を呈していたとスポーツ紙デスクは語っています🗣️
親から見れば「息子を育てた証を形にしたかった」面もありますが、プロ選手本人にとっては、コントロール不能な二次利用としてストレス源になっていきました💢
⑥ 帰省もすれ違いで:実質的な疎遠期(2000年代〜2010年代前半)
その後、イチローさんは弓子さんの実家(島根県松江市)には年1回ほど里帰りする一方で、豊山町の実家には「イチロー杯」に合わせて短時間だけ、父と顔を合わせないように目立たず立ち寄る程度になっていきます😫
「イチロー杯」表彰式では、チチローさんの姿は次第に消え、2015年にはイチローさんの意向で母・淑江さんが代わりに出席しています💦
法的な縁切りなどはなくとも、実務・感情レベルでは「事実上の絶縁・断絶」と言って差し支えない距離感まで開いていたと見られます😭
リヤ一番強く感じたのは親が良かれと思ってやったことと、子どもが本当に求めているもののズレって、想像以上に大きくて
30年以上プレーして、指導もして、今は父親でもある立場から見ると、チチローさんのやり方にはすごく分かると思う部分と、それを越えたら危ないなと感じるラインがあります😅
結婚や豪邸同居、メジャー挑戦、お金、記念館ビジネス…父としてはまだ野球少年イチローの延長線上で見ているのに対して、イチローさん本人はもう自分の人生を背負った一人の大人として決断したいというぶつかり方ですよね🙂↕️
現場で親御さんと接していると、「ここまで育ててきたのは自分だ」という自負が強い方ほど、高校・プロの入り口で子どもに主導権を渡すのが本当に難しい🧐
口では「本人の意思を尊重します」と言いながら、進路・ポジション・チーム選びまで全部レールを敷いてしまうケースも、何度も見てきました💨
一方は子どもで、親への感謝と、「もう自分で決めたい」という自立心の間で揺れています🫨
イチローさんが「父に反対されたけれど、自分で決断できる大人になってほしい」とあの場で言ったのは、指導者目線で見ると、自分の後ろにいる子どもたちに向けたメッセージでもあるし、父への宣言でもあったように感じます📢
コーチとしての実感で言うと、小学生〜中学くらいまでは、親の熱量と管理が子どもの伸びを押し上げることも多いです☝️
でも高校・大学・プロに近づくほど、親が横に並んで伴走する形に切り替われるかどうかで、その先の野球人生だけじゃなく、人としての自立の仕方まで変わると思っています🙂↕️
子どもが結果を出せば出すほど、もっといい環境を、もっとサポートをと前に出たくなる⤴️
でも、本当に必要なのは環境ではなく、任せる勇気だったりするんですよね🤲
チチローさんとイチローさん|和解のきっかけと現在の関係
2019年東京ドーム開幕戦と握手🤝
2019年3月20・21日、マリナーズの東京ドーム開幕戦に出場したイチローは、21日の試合後に現役引退を表明しました📣
21日の試合前、バックネット裏に座るチチロー夫妻に、引退の事実を伝えたのは弓子さんでした👩
チチローの証言によると、そのとき弓子さんは手を差し出し、「今までありがとうございました」という気持ちを込めて微笑みながら去っていき、その手を握った瞬間に「長年のわだかまりが解けていくような感覚」があったと語っています🙂↕️
リヤ東京ドームの引退試合前後で、完全に元通りではないにせよ、少しずつ距離が近づき始めたのは、親としてもコーチとしても救われる光景に映ります🪞
完璧な親子関係なんてなくて当たり前で、間違えたりぶつかったりしながらも、最後に「それでもこの親子でよかった」と思えるところまで行ければ、それでいいんじゃないかなって思います🙂↕️
チチローさんとイチローさんの関係を追っていると、自分の子どもや教え子との向き合い方まで、改めて考えさせられます☝️

チチローさんの変化した言葉
同じ場面でチチローは、「結婚は25歳までするなと言ってきたが、スポーツ選手の世話をしてくれるのは、やっぱり年上女房なんですよ」と弓子さんを認める発言をしています👨
引退表明時の取材では、「あの小さい子が45歳、メジャーリーガーになってここまでやってきた。うわーっと涙が出た」と語り、自分を夢中にさせてくれたイチローや、環境を整えてくれた人々、最後まで残ったファンへの感謝を繰り返し述べています😭
引退後のチチローさんとの距離感:完全修復ではなく現実的な和解
引退後、弓子さんからチチローへ「日本で一緒にゴルフをしてほしい。彼(イチロー)が義父とやりたがっています」というメールが届いたとされ、少なくとも同じ時間を共有しようとする意思が双方に芽生えています⛳️
一方で、現在も日常的に頻繁に会っているという一次情報は多くなく、メディア記事でも「完全に元どおり」というより、「氷がゆっくり溶け始めた」「距離を保ちながら尊重し合う関係」に近いニュアンスで語られています🙂↕️
プロ選手とかつての教育パパという関係性は、元の密着度には戻らないものの、「尊敬と感謝を互いに持ちつつ、健康的な距離を保つ」形に移行していると考えるのが現実的です☝️
疎遠になってる息子から連絡が奥さん経由でも嬉しいもんですよね、しかもゴルフやろうなんて😃
リヤスポーツや習い事は、親子の距離を一気に縮めると同時に、ときに距離を壊してしまうこともあります😅
コーチやお父さん達のミーティングでも、声掛けや距離感など難しいよねとよく話します🙂↕️
子供の気持ちを尊重してあれこれ言わずに、思いに伴走してあげる事がいいのかなと思います☝️
野球を教えていても、失敗したから注意するのではなく、その気持ちを汲み取ってあげると子供達も心を開いてくれます🗣️

まとめ
イチローさんの父・チチロー(鈴木宣之)さんは、自身の挫折した野球経験と自営業で培った覚悟を背景に、「毎日練習」の約束や徹底したサポートで世界的打者の土台をつくった存在でした⚾️
その一方で、結婚相手への違和感、豪邸同居での過干渉、メジャー挑戦への猛反対、所得申告漏れ問題や「イチロー記念館」などのビジネス利用をめぐり、親子関係は事実上の絶縁といえるほどこじれていきます😫
しかし、東京ドームでの引退試合前後のやり取りや、弓子夫人の歩み寄りによって、現在は距離を保ちながらも互いを認め合う現実的な和解の段階に入ったといえますね🙆♂️


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